私は、ホームページに関わる仕事をしている。
ある日、個人で医院を経営されている先生から、ホームページが表示されなくなったと相談を受けた。以前から知っている方ではあったが、私のクライアントではなかった。
話を聞くと、WordPressの更新か、プラグインの影響でエラーが出ているようだった。先生は自分で何とかしようとしていた。けれど、触れば触るほど状況が分からなくなり、不安が大きくなっているように感じた。
医院のホームページが表示されない。
それは、見る人によっては小さなトラブルに見えるかもしれない。けれど、医院を経営されている先生にとっては、患者さんに情報が届かないという不安でもある。いつものページが、いつものように見えない。先生の言葉にも、その不安がにじんでいた。
私はまず、先生にこう伝えた。
「大丈夫です。一つずつ見ていきましょう」
原因を確認すると、エラーはすぐに直すことができた。作業としては、それほど大きなものではなかった。私にとっては、日々の仕事の中にある対応の一つだった。
けれど、ページが表示されたあと、先生は「助かりました。ありがとう」と言ってくださった。
その言葉を聞いたとき、私は少し立ち止まった。
自分にとっては簡単な作業でも、相手にとっては大きな安心になることがある。
若いころの私は、仕事とは早く正解を出すことだと思っていた。早く原因を見つけること。間違えないこと。できるだけ短い時間で、正しい答えにたどり着くこと。それが、仕事ができるということだと思っていた。
早く答えを出せない時間を、どこか無駄な時間のように感じていたのかもしれない。迷っている自分を見せてはいけない。分からない顔をしてはいけない。そんなふうに考えていた時期もあった。
もちろん、今でも正確さや早さは大切だと思う。困っている人を前にして、原因を見つけ、きちんと直す力は必要だ。
でも、それだけではないのだと思うようになった。
困っている人の前で、こちらまで慌てないこと。相手が何に不安を感じているのかを想像すること。「大丈夫です」と言える状態でいること。それも、仕事の一部なのだと思う。
ホームページのエラーを直したことは、目立つ成果として残るものではないかもしれない。
それでも、そのとき先生が少し安心してくださったなら、その仕事には確かに意味があったのだと思う。
働くことを考えるとき、どうしても大きな成果や分かりやすい成功を思い浮かべてしまう。何かを成し遂げること。評価されること。誰かに認められること。そうしたことも、もちろん大切だ。
けれど、仕事はそれだけでできているのではない。
目の前で困っている人の話を聞く。
一つずつ状況を見ていく。
ほんの少しでも、安心してもらう。
そんな小さな積み重ねの中にも、働く意味はある。
誰かが少し息をつけるようにすること。
そこから始まる仕事もある。
→ 小笹通典について

