保育所の保護者会会長をしていた頃の話です。
親も参加する、遠足のような行事がありました。平日に行われていました。
引っかかったのは、保育所というものの存在理由です。保育所は、親が働いている間に子どもを預かる場所です。その保育所の行事が平日にあると、参加するには仕事を休むことになります。休める人はいい。でも、休みにくい人にとっては負担が大きい。保育所の行事なのに、保育所を必要としている人ほど参加しにくい。そこが、どうも合っていないように思えました。
それで、土日に変えてもらいました。
ただ、ここで一つ、はっきり分かっていたことがあります。土日に仕事がある人もいる、ということです。土日に変えれば、その人たちにとっては、今度は参加しにくい行事になる。誰にとっても都合のいい日は、ありません。
それでも土日にしたのは、多数の親が土日に休みだったからです。より多くの人が参加しやすい日を選んだ。それだけのことで、全員が楽になる判断をしたわけではありません。
「多数」と「全員」は、違います。
この二つを混同すると、判断が雑になります。多数のために決めたことを、全員のために決めたと思ってしまうと、外れた人の存在が見えなくなる。逆に、全員を楽にしようとすると、何も決められなくなる。
多数の側に立って決める。ただし、そこから外れる人がいることを、決めた本人が忘れない。私が保護者会でやったのは、それだけです。
この感覚は、仕事でもそのまま使っています。
ホームページを作るとき、「誰に向けて書くか」を決めます。決めれば、その人には届きやすくなる。同時に、そこに入らない人には、少し届きにくくなる。全員に向けて書いたページは、結局、誰にも刺さりません。だから、向ける相手を決める。決めたうえで、外れる人がいることを知っておく。
「うちはこういう相談が多いです」と書けば、それ以外の相談は少し来にくくなります。それでいいと思っています。ただ、それ以外の相談が来たときに、「向いていないから」と冷たくしないことは、決めておきたい。多数のために決めた言葉を、全員への線引きにしないためです。
決めることと、切り捨てることは、違う。
保育所の行事の日を変えたとき、私はたぶん、そのことを覚えました。
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